アメリカでは「承認欲求が強い」が典型的な日本人の特徴だった。

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僕は承認欲求がとても強いです。

自分の身近な人から褒められたり認められたり

することが自分の幸せにつながっていました。

でも、アメリカに来てその”承認欲求”が日本人の

典型的な考え方と言うことを聞いたので、

今回は”承認欲求”についてお話します。

 

僕が今までいた環境の中では周りの人から褒められることが

嬉しくて、それがモチベーションになっていました。

 

大学受験の時は、親や塾の先生に褒められること。

インターンの時は、会社の上司の方に褒められること。

が自分の喜びや嬉しさにつながっていた。

 

営業インターンをやっていた時は、「営業」自体が楽しかった

という部分もあったのですが、

一番は、「褒められること」で、上司から褒められることが嬉しくて

仕事を続けていました。

 

相手に喜んでもらいたいから。

相手に認められたいから。

 

いわゆる承認欲求と言われる部分が

僕の中では強く、そこがモチベーションに

なっていました。

仕事や勉強も「相手が納得するレベル」までやって、

相手が満足すればいいと思っていました。

 

自分が満足するまでやるのではなく、

相手が満足するまでやる。

 

つまり、「仕事をする」と言うよりは

仕事を「こなす」という状態に近かったかもしれません。

なので、仕事や勉強の成果もこれといって

周りより抜きん出ているわけではなく、

中途半端な状態になっていました。

 

アメリカに来て、アメリカで10歳からずっと生活している

日本人の社長さんと僕は出会いました。

1週間に1回、その社長さんとお話させていただく機会があるのですが、

その時、日本人の典型と言う風に表現して

その方が一番多く話しているのが、

「日本人は承認欲求が強すぎる。」

承認欲求は良いところもあるけど、

周りから認められることだけを指標に生きていくと

本当に幸せになれるとは思わない。」

 

僕はその話を聞いて、

「承認欲求がその人の幸せの価値観ならそれでも

 良いんじゃない?」

って正直思いました。

 

でも、心のどこかでは、

「相手に認められる幸せは、一瞬で、

本当に自分が幸せであり続けるには承認欲求

による満足だけではいけないのかなと思うときもあります。

 

そこで僕は承認欲求について気になってので

ネットで「マズロー5大欲求」について調べて見ました。

 

マズローとは、アメリカのニューヨーク州に生まれた心理学者です。

マズロー5大欲求とは、この心理学者マズローが提唱した

理論です。

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この5つの欲求の中で、おそらく今自分が最も強いのが

社会的欲求と承認欲求だと思います。

 

・社会的欲求:

友人や家庭、会社から受け入れられたい欲求

 

・承認欲求:

他者から尊敬されたい。認められたいと願う欲求

 

詳しくは、こちらのサイトに書いてあるので、

興味のある方はこのリンクをクリックして見てください。

https://ferret-plus.com/5369

 

 

 

おそらく誰しも、”社会的欲求”や”承認欲求”は少なからず

あると思います。 

この話を社長さんにした時、社長さんは

 

「仮に自分よりも3歳上だけ上の人に認められてそれで自分は幸せなのか」

「ずっと幸せでい続けることができるのか?」

と言っていました。

 

僕の中では自分の周りの人に認められて、

自分の成果に対して喜んでもらっている状態が好きです。

その結果、一緒に働いている状態が楽しいから

それが僕は幸せにつながっていたので、

仕事を続けたいと思っていました。

 

また、社長さんは

 

「そういう人材は会社からしたら

扱いやすい。まるで会社の歯車のように。

でも、そういう人たちがいるから会社が成り立っている」

とも言っていました。

 

僕は今まで学校やインターンに限らず、

自分の過ごしている環境にいる人に認めてもらうことで

幸せや楽しさを感じていました。

俗に言う、”社会的欲求・承認欲求”です。

  

今までの自分の考え方が日本で多くを占めていたのが、

アメリカに来た途端、典型的な日本人的思考で少数派と言うことに

気づいたのでいますごく困惑しています。

今までの自分が間違っていたのかと考えるときもあります。

自分のやりたいことや楽しいことが全て

承認欲求を満たすだけのものなのかなと思ったりします。

 

僕はとても流されやすい人間なので、

目の前の大多数が正しいのかなと思うときもありますが、

大多数の意見が常に正しいと言うわけではなく、

少数派の人が正しい場合もあります。

 

今、まさに僕は「日本人的考え方」という点で

アメリカで少数派に立っています。なので、アメリカでの生活に

違和感を覚える瞬間が多々あります。

 

しかし、僕の留学の目的は「海外の人の考え方」を体験して、

自分に取り入れることです。

なので今僕がやらなきゃいけないことは、

 

自分が幸せを感じ続けられる要因を探すこと。

そして、その軸をブレないようにして日本に戻ること。

 

この二つです。

 

簡単な道のりではないと思うのですが、

日々の生活の中で、

自分の幸せとは何か?

どうすれば、自分は幸せになれるのだろうか?

と考えることで本当に自分のやりたいことを見つけようと思います。

 

一回だけでもいいから、一度考えて見ても

損はないかなと思います。

 

『継続』ってどうやるの?僕の一番苦手なこと

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僕は継続することが一番苦手です。

 
僕は大学や企業での営業インターンなど
色々な環境に身を置いてきたのですが、
環境がどこであろうが一番苦手なのが
継続すること」です。
 
・大学受験では、毎日決まった時間に勉強する
インターンでは毎日、その日の勤務で何を学んだか
 記録する日報
 
とにかく続けることが苦手
なので、何か一つのことをずっと続けている方は
本当に尊敬します。
 
僕は今ブログを継続的に毎日書いているのですが、
ぶっちゃけ結構しんどいです...
なので、毎日いかに楽して継続できるかを色々考えています。
 
今実践しているのは、何か自分が楽しいことをしている時に
ブログも同時に書いていいます。
ちなみに今は、アパートの共用施設のジャグジーに入るのが好きなので、
ジャグジーに入りながら書いています。
 
継続することは本当に難しい。
 
そこで逆に自分が今までに継続できていたこと
を振り返って見た時に共通点がありました。
 
それは楽しいことです。
 
今自分が楽しんでやっていることは
気づかないうちに継続できている。
 
でも最初から何事にも「楽しい」という感情は
持てませんでした。
インターンをしている時も最初のうちは
「営業なんてシンドイだけだ。」
「なんで自分はこんなにまで辛い思いをしているのだろう。」
と思っていました。
 
でも途中から僕は営業が楽しいと思えるようになってきました。
その理由は、営業に慣れてきて契約が取れるようになってきたこと。
つまり、
”できる”がゆえに”楽しい”になっていました。
 
人によって価値観や考え方が異なるので、
一概には”できる”ことが”楽しい”に全員がつながるとは思っていません。
 
ただ、僕の場合は”できる”がゆえに”楽しく”なり、
その結果気づかないうちに継続できていました。
 
ここで難しいことが、新しく始めたことを”できる”と言える状態まで
もっていくことです。
 
 
できないことを続けるのは本当に難しい。
できない状態が続くとかなりシンドイです。
 
僕もインターンを初めたばかりの時は
できないことばかりで本当に辛かったです。
 
「自分がやっていることは正しいのか」
「何が正解かわからない」
この状態がずっと続いていました。
 
ここで、僕が続けられていたのは
自分自身を厳しい環境に追い込んで
自分からプレッシャーをかけていたからかもしれません。
 
自分の意思で営業のインターンをやりたいと思って初めて、
面接でもその意思を会社の方に伝えていたので、
 
「逃げる」わけにはいかない。
「逃げられない」環境を作ってました。
 
そうすることで”できる”状態になるまで、
継続して、楽しくなってきたら気づかないうちに継続できている。
僕はそのタイプでした。
 
中学からやっているテニスも
英会話の勉強もできるようになってきてから
気づかないうちに継続できていて、
かれこれ10年くらいになります。
 
特に仕事の場合、”楽しい”と思えるようになるには
スポーツや趣味に比べて時間がかかってしまうと思います。
なので、”できる”ようになるには相当シンドイ期間が続くと思います。
 
仕事も遊びもせっかくやるなら楽しい方がいい。
辛いことも”楽しい”と思えるようになったら
継続できるようになるし、”できる”ようになると思います。
 
 
人それぞれ、価値観や考え方は異なりますが、
僕が最近考えて気づいたのは、
 
① 自分で自分を追い込んでプレッシャーをかけてできるようになる
② ”できる”ようになったら”楽しい”と思うようになる
 
この①から②の順番で継続できるのかなと思っています。
とは言っても、僕は強い人間ではないのでだらけてしまうかもしれません。
でも、今はとにかく継続できるように毎日奮闘しています。
 
 

自分を叱ってくれる人がいない時こそ自分を見つめ直さなきゃいけない。

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アメリカに来てから自分を叱ってくれる人が

ほとんど皆無と言っていいほどいませんでした。

 

アメリカに来る前に2年程、ベンチャー企業

インターンをしていた時は毎日といっていいほど

何かしらで注意されていました。

 

「期日までに何回か先方に確認連絡したの?

「今週のノルマをクリアできてないけど、月次のノルマは達成できるの?」

「商談に行く前の事前準備で全てが決まるけど、満足いくまでした?」

 

こんな感じで毎日言われていました。

 

その環境にいたからこそ、毎日自分を見つめ直していました

注意されたところはメモして、同じ間違いを二度と繰り返さないように

気をつけていました。

 

でもアメリカに来て、環境がガラッと変わり

自分を見つめ直す時間が明らかに減っていました。

もっと早く気付くべきだった...

 

アメリカで生活している中での「気づき」のようなものは、

細かくノートに記録していたのですが、

一番大事な”自分を見つめ直す”ということを完全に忘れていました。

 

アメリカに来てはや3ヶ月、

日本との交通機関の違いや人柄の違いなど、周りの環境の違いには、

アンテナを張って色々と考えていたものの、

自分のことについて考えることを怠っていたので、

人としての成長が止まっていたのかもしれません。

 

少なくとも僕はそうなのですが、

何か失敗した時に注意されると

「自分が悪かった。変わらないといけない」

と深く反省することで自分を見つめ直していました。

インターン以外にも大学の先生や会社の上司の方、

バイト先の塾長先生など、日本にいた時は自分を見てくれて

注意してくれる人たちで溢れていました。

 

これは良くも悪くも自分はラッキーだったと今でも思います。

 

「好きの反対は、無関心」

と言うように本当に呆れられると「嫌い」という感情も

なくなる。

という風に会社の上司の方に言って頂きました。

 

相手に好かれると言うことも大事なのですが、

それ以上に自分を叱ってくれる人がいたことにもっと感謝すべきでした。

今、インターンの時の記憶を思い返してみると、

褒められた数よりも叱られた数のが多かったと思います(^_^;)

 

飛び込み営業に慣れて来て、叱られることがすくなって来たと思ったら

今度はライティングの仕事をした時に叱られ、

クライアントさんとのやり取りで抜け漏れがあり叱られ。

今思い返すと、叱られたことばっかでした。

でも、その叱られたことで、

「次は同じ失敗はしないようにしよう。」

「次同じミスをしたら自分は成長しない。」

と自分を見つめ直して、少しづつ成長できたのかもしれません。

まだまだ21歳のただの学生ですが...汗

 

テニス業界で有名な”松岡修造さん”の名言でこんな言葉があるのを

たまたまテニス関係のサイトを見ている時に見つけました。

 

「褒め言葉よりも苦言に感謝」

 

叱られている時は、

「なんでこんなに叱られるんだろう。シンドイなぁ。」

としか思っていませんでした。

なので、インターンをしていた時にこの言葉を見ても、

「苦言はなるべく言われないに越したことはないでしょ」

とぐらいしか思ってなかったと思います。

 

でもいざ自分を叱ってくれる人が周りからいなくなると、

叱ってくれる人がいたから自分を見つめ直して成長できていたんだなと感じ、

叱られてもらっていたことはありがたいことなんだと思いました。

 

今ならこの松岡修造さんの言葉を少し理解できるかもしれません。

 

また、上司の方にこんな言葉を言われたのも思い出しました。

「若いんだから、いっぱい傷つけ。その方がミズキくんのためになるから」と。

 

もしかしたら、アメリカに来てから自分が傷つく環境から知らぬ間に

逃げていたのかもしれません。

平日は学校に行って、休日はどこか観光に行く

この繰り返しをしていました。

その結果、「自分が失敗して傷つく環境」から遠のいていました。

 

本来であれば、周りの人に叱られなくても自分を見つめ直すことが

できる方がいいのですが、少なくともまだ僕はそこまでできた人間では

なかったです。

 

会社に就職するのは、留学が終わってからなのでまだ先になりますが、

少なくとも会社に入るまでには、

「周りの人に叱られる前に自分を見つめ直す」

ことができるようになれればいいなと思います。

 

松岡修造さんの言葉からあるように、

苦言に感謝

今の僕にはこの言葉がぴったりな気がします。

 

ただの学生がこんな言葉を言う資格はないかもしれませんが、

失って初めて今まで周りにあったものの

大切さに気づく。

この言葉は、本当なのかもしれません。

 

一日一回、一週間に一回でもいいから、

ノートに書いたり、友達と話したりして自分を見つめ直す時間を

これから欠かさずに作っていけたらなと思います。

”周りの空気を読む”はやっぱり日本人的な考え方なのか。。。

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今、僕はアメリカに留学しているのですが、

アメリカに来てずっと抱えている悩みがあります。

 

それは”日本人らしさ”や”日本人的考え方”です。

 

僕は日本で21年間生活して来たので、

「日本人の考え方」が完全に染み付いています。

そして、日本で生活する中で日本人的考え方を身につけて来たので、

「日本人的な考え方」で成功してきたことが多かれ少なかれあります。

 

ところが、アメリカに来た途端

「日本人は周りの雰囲気を気にして自分の意見をいうことが苦手だよね?」

「日本人は相手によく合わせるよね?」

と言ったように言われることが多々あります。

 

周りの雰囲気をを察することで、その場が円滑に

まわるようになると信じてずっとそのやり方を

日本で貫いて来たのですが、日本人以外の人からすると、

「周りに気を使いすぎじゃない?」

「自分の軸を持った方がいいよ」

という感覚になるみたいです。

 

もちろん、この「周りの雰囲気を気にする」

というのは日本人の強みでもあると思います。

でも海外に出た途端に「弱み」に変わっていました。

 

日々の生活の中で色々と考えていく中で、

僕は「周りの雰囲気を気にする」というのは

捨ててはいけない「日本人的な感覚」なのかなと思います。

ただ、雰囲気を気にしすぎて周りに意見が言えなくなってしまうと

自分の意見や軸がないと判断されてしまうので、

 

「意見を言う場では必ず意見を言う」

意見を言わないのではなく、言うべきタイミングで

意見を言うことができればいいのかなと思います。

口で言うのは簡単なんですけどね...

 

今まで日本で生活する分には、この「日本人的な考え方」

で成功して来た部分があったので、多かれ少なかれ

自分の中に「日本人的な考え方」に対してプライドがあるのかもしれません。

その結果、気づかぬうちに”日本人的な考え方”に固執していました。

 

endeavor-inmylife.hatenablog.com

 ただ、僕の留学の目標としては、

日本以外の国の人の考え方を自分に取り入れたいと言う部分が強かったので、

「日本人的な考え方」は一回頭の隅に置いた状態で

アメリカ生活を送ろうと思います。

 

おそらく、かなり厳しい道のりになると思うのですが、

日本人の良さも忘れずに新しい感覚を身につけられればと思います。

”仲間”になれたからこそ得られる”幸せ”

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馴れ合いの「友達」ではなく、

向き合うことのできる"仲間"

 

言葉だけ聞くと響きが良く、

憧れるような関係ですよね。

 

僕は、今まで「大学受験」「大学のゼミ」「営業インターン

という場所を通していろんな仲間と出会ってきました。

 

でも最近友人に教えてもらったのが、

本気で正面からぶつかって相手と向き合うことができる関係

それが本当の意味での仲間だと。

 

僕は今までいろんな人に出会ってきました、

出会っていく中で、何か問題が起こった時に

全ての人の向き合ってきたかというとそうではありません。

 

多くの人の場合、見て見ぬ振りをしてきました。

相手が間違ったことをしていた時に、

「この人に言っても仕方ないかな」

「理解してもらえなかったら自分がシンドイだけだ」

と大半の人との関係を中途半端な形で過ごしてきました。

 

今まで全く向き合って来なかったかと言われると

そうではありませんが、本気で向き合ってきた人を割合で表すと

10人に一人くらいだと思います。

なので、今まで僕が仲間と思ってきた友人との関係性は

もしかしたらそうでなかったのかもしれません。

 

「ただ、一緒にいるのが楽しいから」

ただ、それだけの理由で過ごしてきたのかもしれません。

 

本気で向き合える関係が本当の意味での”仲間”

相手と本気で向きあって、仮に裏切られたとしてもいいから

全力で向き合おうとすることは想像以上に難しいです。

 

相手のために自分のことは度外視して向き合う

「相手に思いが届いて欲しい。ただそれだけでいい。」

そのたった一つの感情を行動に移すことは本当に難しいと思います。

 

僕は今まで本気で向き合ってきた人は、相手が自分の思いを理解してくれる

と確信があった時のみでした。

それ以外の確信が持てない人たちに対しては「逃げる」という形で

向き合ってきませんでした。

 

「向き合うことが怖かったから。」

「本気で向き合ったのに裏切られるのが怖かったから。」

 

でも実際に本気で向き合ってみないと、

相手に思いが届くかどうかはわからないです。

だからこそ、本気で向き合う回数を増やすことで

本当の意味での”仲間”という関係性を持つ友人を増やしていけるのかなと思いました。

 

最近、友人と問題が起こった時に

友人は僕に

「本当の意味での仲間になるのは難しい。

だからこそ、仲間になれた時はお互いが固い絆で結ばれる」

と言ってくれました。

 

僕もこの言葉から相手が本気で自分に向き合ってくれていると

実感しました。

ありがとう。

 

今まで本気で向き合わず、何も言えなかった自分が悔しいです。

だからこそ、僕も今から出会う人に本気で向き合って、

”仲間”という関係になれるように頑張っていこうと思います。

その方が振り返った時に”幸せ”だと感じられる気がするから。

”自分の弱み”を認めることの難しさ

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厳しい環境から離れると

気持ちが緩んでしまうのは僕の弱みです。

気を緩めた瞬間に腐ってしまう。

 

この弱みについて友人と話している時に彼は僕に

「ならば今度は逆に、腐らなかった自分を褒めるってのも大事なんじゃないかな」
「気の緩みを自分の弱さだと毎回縛ってしまうのも、人生疲れるだろうし。
 認めるときは認めた方が気持ちも楽やで」

 

この言葉に近いことを以前知り合いの社会人の方に言われたことがあったことを思い出しました。

 

インターン時代に成績が出ずに毎回根詰めて仕事をしていた時に

社会人の方は僕に

「あんまり頑張りすぎるとミズキくんがパンクしちゃうよ。」

「たまには息抜きしてもいいんじゃない?」

と言ってくれました。

 

その言葉をすっかり忘れていました。

そして今回友人に気づかせてもらいました。

 

人は内容や程度が違えど、弱みを持っているのかもしれません。

そして、その弱みを克服しようとして日々努力している人はたくさんいると思います。

 

僕もその一人でした。

 

厳しい環境から離れてしまうと、すぐに気が緩んで

自分を甘やかしてしまう。腐ってしまう。

この弱みを克服しようといろんな環境に自分の身を置いてきました。

21年間経った今でも全然その弱みを克服できていなかったです。

 

大学受験や営業インターンで散々気をつけてきたのですが、

どうしても克服できない。

そんな時にもしこの言葉を本当の意味で理解できていたら

もう少し自分が楽になっていたかもしれません。

 

自分の弱みを認めることも時には必要

 

だということを。

 

自分の弱みを認めることは、ある種自分を許すことになります。

自分を許すことは決して簡単なことではなく、難しい。

なぜなら、許そうとしている過去の自分を今の自分が好きではないからです。

 

多くの人は、

「このままじゃだめだ」

「何も変わらなければ過去の嫌いな自分と同じになってしまう」

と考えてしまいます。

 

嫌いな他人を許すことって難しいですよね。

でもそれ以上に僕は「嫌いな自分」を許して認めることのがもっと難しい

と感じています。

 

それでも、自分を時には許して認めることも必要というのは

そうしないといずれ自分がパンクしてしまうから。

 

こうやって頭ではわかっていても、実際にやることは難しいのですが...

過去にプライドに関するお話をしたのですが、

この”プライド”も頭でわかっていても実際に使い分けることは

難しいと僕自身感じています。

 

endeavor-inmylife.hatenablog.com

 

たまには頑張りすぎないことも必要です。

少し休憩して、また再スタートすればいい。

 

そうすれば、また頑張れる。

休憩していた時間は無駄にはならない。

休憩は「パンクしないための自分のメンテナンス」になるから。

 

僕自身、自分を絶対許してはいけないと思っていたのですが、

たまには自分を許してもいいかもしれませんね。

人と本気で向きあうのは難しい

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人と本気で向き合うのって本当に

難しい。

 

もし自分が相手に本気で向き合った時に

相手が本気でなかった時に辛くなったり、悲しくなったりして

傷つくのは自分だから。

 

つい最近、友人が僕に対して本気でぶつかってきてくれた。

その時僕は本当に嬉しかった。

嬉しかったと同時に本当に申し訳ないことをしてしまった感じた。

 

自分が友人の立場だったとしたら、

同じことをされたら僕なら何も言わずに諦めてその場から離れていったと思います。

 

ある種これは「逃げ」なのかもしれない。

それでも本気で僕に伝えてくれた友人は本当にすごい。

僕ならできなかった。

 

僕が相手に対して今まで本気になったことは一回もないというと

そういうわけでない。

ただ、気づかないうちに「相手に本気で向き合う」ことから

逃げていたのかもしれないです。

 

「本気で向き合う」ことは本当に難しい。

結局、人は自分を一番大事にする。

だからこそ自分が傷ついてでもいいから相手のために何かできる人は

本当にすごいと思う。

 

相手への「思い」があるからこそ

そこまでできるのかなと思ったりもします。

 

僕が相手に対して本気で向き合う回数が減ってきていたのは

相手への「思い」が薄れてしまっていたからかもしれません。

 

相手に対して、「感謝」があれば、

その分相手への「思い」も強くなり

相手のために何かしてあげたいと思うようになる。

 

僕は知らぬ間に

「がむしゃらに相手に本気で向き合う」

「形なんでどうでもいい。ただ思いを本気で伝える」

この大切なことを忘れてしまっていました。

 

これを機にもう一度、

「人と本気で向き合う」

ことにチャレンジしようと思います。

 

体を張って教えてくれてありがとう。

やっと気づけました。

本当にありがとう。